「順番争い」【こそだてDAYS】
今、滋賀県を含め全国で企業数が減っているのだとか。中には後継者がいなくて仕方なく閉店・閉業というケースも。築き上げたものを途絶えさせないために、どうすればいいのか。「滋賀県事業承継・引継ぎ支援センター」の内海靖さんに聞きました。実際に事業や技術を引き継いだ人たちを同センターに紹介してもらい、取材しました。撮影/武甕育子、児嶋肇ほか
あまり進んでいない?
後継者選び、引き継ぎ準備
商品が手に入らなくなったり、街の活気が失われたり。店や会社がなくなると、私たちの生活にもさまざまな影響が出てしまいます。
「黒字経営なのに後継者不在で廃業する企業もあります。その影響で地域の雇用が減り、消費が落ち込んで…と周りもダメージを受けかねません」と、「滋賀県事業承継・引継ぎ支援センター」の内海靖さん。
「県内の企業に調査した結果、後継者が決まっていないところが5割強もあるんですね。経営者さんが何となく息子にと考えていても、本人に伝わっていないことも」
かつては後継者の8割が子や甥(おい)・姪(めい)、孫といった親族でしたが、近年はこうした承継が減っていると言います。
「身内に後継者がいない、でも事業を終わらせるのはもったいない。ならば従業員や第三者に託したい、と変化してきました。ただし、承継の準備を事前に進めている企業は約4割。準備期間には5~10年程度かかると言われていますから、早めに後継者を決め、準備するのがおすすめです」
- 「滋賀県内企業の事業承継に関する調査報告書」より
令和5年3月/滋賀県事業承継ネットワーク事務局
1人で悩まず、
専門家や支援機関を頼るという手も
「準備と言っても何から手をつければ」と戸惑う経営者もいるのでは。
「そこは固く考えずに、人に頼る、相談するでいいんです。後継者が息子や娘の場合、距離が近すぎて話しづらいなら、間に専門家や支援機関に入ってもらっても。客観的なアドバイスは参考になるはずです。まずは普段からお付き合いのある商工会議所や金融機関などを頼って。当センターでも無料で相談できますよ」と内海さん。
多くの知恵を借り、一緒に考えてもらうことで新しい展開が見えてくることもありそう。
「自分の人生と事業が一心同体になっている経営者さんが多いよう。事業に込める思いを大切にして、うまく引き継ぎしてほしいですね」
- 教えてくれたのは
- 滋賀県事業承継・
引継ぎ支援センター
統括責任者・内海靖さん
- ケース1
- 第三者承継
創業の理念は変えず
自分らしいスパイスをfm craic(エフエム クラック)
- 代表・釘田和加子さん
- 「弥平とうがらしはタカの爪の2倍という辛さ。後を引く甘みや豊かな香りが特徴」と釘田さん
湖南市の伝統野菜・弥平とうがらしを使ったスパイスやソースなど、「ぴりり」シリーズを製造販売する「fm craic」。代表の釘田和加子さんによると「2021年に引き継ぎました。創業はその10年前、佐々木由珠さんと三峰教代さんが始めた会社です」
夫の関東転勤などで創業者2人が事業を続けられなくなり、当時手伝っていた釘田さんに「やってみない?」と打診があったそう。「私はもともと湖南市の地域おこし協力隊の一員。移住者の起業をサポートしてきて、自分もいつか事業をしたかったので」と承諾した釘田さん。何とか事業を残したいという気持ちも強かったと言います。
とはいえ具体的にどうすればいいのか分からず各所に相談。課題とその解決法、株式譲渡についてもアドバイスを受け、無事承継に至りました。
「創業者の理念は、地域の良いものを発信し根付かせていくこと。その軸は変えずにもっと30、40代の女性にアピールしたい。そこで初年度に商品パッケージを一新し、SNSでこんな使い方ができると提案も。新たに弥平とうがらしを使ったチキンビリヤニ(インドの炊き込みご飯)のキットも発売しました」
新展開が功を奏し、飲食店からの注文が増えるなど市場拡大につながったよう。その後、釘田さんは出産し、現在子育てと事業を両立中です。
「ギフトセットの開発や新商品の展開に加えて市内での弥平とうがらしの知名度も上げたい。学校の授業で栽培してもらうなど、子どもへのアプローチも模索しています」
- 釘田和加子さん(中央)と佐々木由珠さん(左)、三峰教代さん。創業者の2人は譲渡後もサポート、今の展開を喜んでくれているそう
- チキンビリヤニキットやクラフトスパイス、ソースがある「ぴりり」シリーズ
- ケース2
- 親族承継
木桶仕込みを復活させ
納得できるしょうゆの味に水谷醤油醸造場
- 6代目・水谷優太さん
彦根市で170年続く「水谷醤油醸造場」の6代目、水谷優太さん。父・勝彦さんの後を継ぐべく奮闘中です。
「家業に入ったのは大学卒業後すぐ。もともと継ぐつもりはなかったんですが、父が肺を患ったのと、自分自身の商売がしたいという二つの理由で」とのこと。
勝彦さんが商工会議所に相談するなど、着々と引き継ぎの準備を進める一方で、当初はスキルや人脈がないと感じていた優太さん。しょうゆづくりの面白さも分からなくて、このまま続けるかどうか迷ったのだとか。
転機は2年ほどたった頃。「よそのしょうゆ屋さんで、木桶(おけ)で発酵熟成させる作り方を体験させてもらったんです。木桶は酵母菌などがすみつきやすく、その年その土地、その蔵ならではの味が作れる。自分がやりたいのはこれだ、うちで約50年途絶えていた木桶仕込みを復活させたいと火がつきました」
渋る父を説得し、新たに木桶を購入。維持管理の大変さはあっても、納得できる味を追求する毎日は楽しかったとか。5年がかりで「日々をより良くするしょうゆ」をコンセプトにした新商品を作り上げると、売れ行きは好調。父も認める結果になったようです。
「事業を継ぐことは思いをつないでいくこと。本質は守りつつ、かたちは代ごとに変えていいと思います。僕自身、日々やりがいを感じるし誇りも持てている。しょうゆづくりを見た子どもたちにそれが伝わって『かっこいいな』と思ってもらえるとうれしいですね」
- もろみを混ぜ合わせる櫂入れの作業。「木桶によって頻度が違います。麹(こうじ)も生き物。のんびり屋さんもいれば気分屋さんもいるので、一つ一つ性格を見て」
- 木桶仕込みの「日々是好日」シリーズ。国産の丸大豆や小麦、天日塩を使用して天然醸造。大体2年の月日をかけてじっくり作り上げるそう
- ケース3
- 技術承継
琴糸づくりの〝技〟を継ぎ
次の世代へつなぐ丸三ハシモト
- 代表・橋本英宗さん
生糸の産地・木之本町(現・長浜市)で1908(明治41)年に創業した「丸三ハシモト」。橋本英宗(ひでかず)さんは4代目で、琴や三味線、沖縄の三線(さんしん)といった和楽器の弦を400種以上手がけています。
技術承継は2年前、あるメーカーが廃業すると聞きつけたことから。
「ブランド力が高い化学繊維製の琴糸を作っていて、技術が失われるのは惜しい。どうにか引き継げないかと、『何か力になれませんか』と電話しました。喜んでくれて交渉の糸口をつかんだはずが、後日、会うのを断られて。諦めきれず『貴重な技術を次に生かしたい』と訴え、付き合いのあるお琴屋さんにも口添えをお願いしました」
橋本さんは事前に地元の商工会などにも相談、多方面から助言や援助を受けたそう。
「皆さんのおかげで、先方から技術を教えてもいいと言ってもらえました。人を頼るのは恥ずかしいことじゃない。不足している部分は補ってもらって、より良い状態で臨めばいいと思います」
技術指導の契約を交わす際は、和やかな雰囲気になるよう気を配り、相手への敬意も伝えたのだとか。結果スムーズに契約を結べたと橋本さん。
「従来とは違う工程なので試作を重ね、現在前社の琴糸を再現しつつあります。今後も技術を大切にしてどんな要望にも柔軟に応えていこう、併せて和楽器全体の市場が活性化するように努めていこうと考えています。次の世代が継ぎたいと望む会社・業界にするのが私のゴール地点ですね」
- ほぼ手作業で作る絹糸製の弦は、プロの演奏家にも定評が。同じ絹糸を使って中国・韓国の伝統楽器の弦も開発
- 化学繊維・テトロンを使った琴糸「冨貴」。継いだ技術によって新たな気づきがあり、今も研究を続けているそう